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2017年11月18日土曜日

路上からの再出発(3つの発表)

私が初めて「途上国」と呼ばれる国へ行ったのは、2013年のハイチでした。
そこから現地での活動が始まりました。

出発する前からの構想を含めれば、2012年頃からなので、もう5年が経ちます。
「貧困」に対して何ができるか、と考え、まずは知ることから始めようと思いました。

貧困問題を解決するために活動しているNPOのホームページや、各地の小さなプロジェクトやニュースの記事を日本語に訳して紹介するようなことをしました。まだ出発前でしたが、ハイチの国内避難民キャンプでの強制退去を止めさせようというプロジェクトの動画を作ったりしました。(クオリティ、内容ともに恥ずかしくて見せられるようなものではありません)
当時住んでいたカナダで、ホームレスのシェルターや、孤児院を訪ねて取材を試みたりしました。(そのほとんどはうまくいきませんでした)

このブログを書き始めたのは、2013年の5月ごろからなのですが、最初に立ち上げたブログは別のタイトルがありました。
「貧困問題と戦う俺とワンピースとヒップホップ」
これが最初に付けたブログのタイトルです。
なんで、そのようなタイトルにしたかと言うと、特にたくさんの人に見てもらいたいと思っていたわけでもなく、貧困問題について語るとしても、別に専門的な知識があったわけではなく、等身大の自分で、思ったことを素直に書こうと思っていたからです。

当時の自分は、貧困問題への関心以外に、ワンピースとヒップホップでできていました。

もう古いブログは消してしまったのですが、自分が調べたことをコツコツと書き溜めていたので、消さなければよかったなぁ、と少し後悔しています。

旅に出発するにあたり、良識のある友人にアドバイスをもらい、今の「世界の貧困を伝える旅」というタイトルで新しくブログを書き始めました。

そしてハイチ、コロンビア、ブラジル、南アフリカ、ジンバブエ、ケニア、エチオピア、レバノン、インドへ行き、現地のNPOや小さな団体でボランティアをさせてもらいながらブログをコツコツと書いていました。

今は現場の経験だけではなく、素人と言わせないくらい本を読んで、いろんな人の話を聞いて、完全にアップデートされているはず・・・だと思っています。昔の投稿を見て、未熟だったなぁ、勉強不足だったなぁ、と感じるので、そうなんだと思います。


2014年の3月に帰国してから、福島へ行きました。
福島では仕事をしながら、2年間を過ごし、ときどき週末に仮設住宅での催しやお祭りのスタッフとしてボランティアをさせてもらいました。ビニールハウスを解体したのも懐かしい思い出です。

これからどうやって生きていこうか。何をすれば、自分は満足できるのだろうか。
NPOか、途上国ビジネスか、・・・いろんな国のことを学ぶことができたのは、良かったところでもあるけれど、次の活動が選べなかった。アフリカに行って、シリア難民のことはもう忘れていいのか。福島はとはもうこれっきり終わりなのか。
そもそも自分はどこから出発したのか。自分の家族からだ。貧しかった。人に言えないような不幸があった。社会の仕組みを恨んでいたはずだ。

何度か東京で話す機会をいただき、気付いたことがあった。拍手をもらい、知り合いが増えるが、それで何か変わるのか。高貴な言葉を並べ立てて、賢い人間に褒められて、自分はステータスでも欲しがっているのか。経済開発も国際援助も多様性を否定するエリートの描いたシナリオだというのに、結局エゴイズムに飲まれて、同じことをやるのか。自分の嫌いだった人間になろうとしていないか。

おまえはスラム街で、難民キャンプでいったい何を学んだ?保身に走るのか?おまえはダセーな。
そんな言葉を自分にぶつけ続けた。

腐り果てた世の中と戦うことを止めてはだめなんだ。

組織の枠組みや国境も関係ない、エリートを喜ばせるロジックを語らなくてもいい、自由に、いろんな痛みや希望を表現する生き方があるはずだ。

日本も含めて世界と呼び
「貧困」と言われているが、それは作られたもので
人間は多様性に満ちあふれていて美しいんだと
叫びたい。

教科書には書いてない世界の模様を描きたい。

丈夫な体さえあれば、それで十分だ。シンプルでいい。

詞を書いて、歌を歌うという道を選ぶことにした。

もうすぐアルバムが完成します。
アルバムのタイトルは「世界の貧困を伝える旅」です。

シリア難民キャンプで見てきたことも、福島で過ごした2年間のことも、地元への想いも、これまでに3度訪れたエチオピアの村のことも、言いたいことは全部言いました。
貧しさとは何か、豊かさとは何か、人間とは何か、そして人間はどこへ向かっていくのかを、自分というフィルターを通して、自分の言葉で、自分の声で表現しました。
それが今日の1つ目の発表です。

11曲74分 1500円


↓購入予約はこちらから
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そして2つ目の発表です。

福島を離れてから、住所は東京になりましたが、ずっとエチオピアの研究を続けてきました。それは、自分が取り組みたい大きな課題の1つでした。

最初は小さな問いからスタートしました。
なぜ、エチオピアは他の国よりも多くの国際援助を受けているのか。昔から私のブログを読んでくれている人は、知ってくれているかもしれませんが、自分にとって因縁の相手と決着を付けたいと思っていました。

そしてエチオピアを知れば知るほど、面白かった。エチオピアの魅力に引きずり込まれていった。

とうとうエチオピア研究が行き過ぎて、どうしてエチオピアはアフリカで唯一、植民地にならなかったのか。1930年代のエチオピア皇室と日本人女性の結婚話の裏でいったい何が起きていたのか、そんなことまで調べていました。

そして、ある発見をしました。
それを本にしました。

本のタイトルは、

ワンピースは実在している










amazonに出しました。まだ入荷待ちと書いてあるかもしれませんが、購入手続きはできるようになっていて、数日以内には届くと思います。興味のある人は買ってください。



これは本当に驚くべき内容です。ギネス認定されるほど多くの読者がいるワンピースですが、まだ誰も答えを解っていません。それを世界で一番最初に解き明かしてしまいました。本当にこれは、自分にとって奇跡としか言いようがない発見でした。そういう説もありえる、というレベルのものではなく、これ以外に正解はない、という答えを書きました。世界をひっくり返す宝と言われているワンピース(ひとつなぎの大秘宝)です。
現実の世界では、システムに殺されている人はたくさんいますが、誰もシステムは変わらないと思っています。ワンピースという宝は、それを変えるかもしれないものでした。エチオピアを知らなければ、絶対にたどり着けなかったと思います。今年2017年の1月ごろにリアルなワンピースの存在を見つけ、黙っていようかどうしようか、一応は悩みましたが、エチオピアを知ってもらう機会にもなるし、発表することにしました。大人向けに書いたので、子どもには多分読んでも分からない内容だと思います。

いかだ舟で外の世界に出発した自分が、まさかワンピースを見つけるなんて、何て人生はドラマチックなんだと、今年は本当に幸せな気分を味わいながら無職でした。




それから3つ目の発表です。

これから私は、「世界の貧困を伝える旅(CD)」と自著『ワンピースは実在している』を一応アマゾンでも買えるようにしますが、両方とも自主制作なので、販売ルートも何もありませんので、路上に出て、コツコツと売っていきます。
SNSのタイムラインでスクロールされて終わらないメッセージを、賢くキーボードを弾いただけでは届かないような人へ、伝えるんだ。そして地道に世界を変えてやるんだ。スラム街で学んだことは人生で表現する。

これが本当の「世界の貧困を伝える旅」になります。
CDを売った枚数が、伝えた数だと思うと、気持ちが高まります。とりあえず最初は東京近辺を考えていますが、日本全国どこでも行こうと思っています。




こうして、2012年に構想し、誰からも相手にされなかった「貧困問題と戦う俺とワンピースとヒップホップ」が、奇跡的に形になりました。海賊王と呼ばれるようになる日を楽しみにしてます(笑)。

CDを聴いてくれた人の感想を聞いたり、本を読んでくれた人の感想を聞いたりしようと思って、ツイッターのアカウントを作りましたので、フォローよろしくお願いします。

https://twitter.com/umino3zok




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2016年10月23日日曜日

2016年エチオピアの旅 #7

ゴンダールからアムハラ州の州都バハルダへ向かいました。


ここまでエチオピアの都市をめぐってきましたが、次第に地方都市の存在感の大きさに気付き始めました。

全体像を把握するまではまだ時間が掛かるのですが、エチオピアの謎の1つ「人口爆発」について考えていきたいと思います。

大きく分けると2つの疑問がありました。

1.人口爆発は本当に起きているのか

2.人口爆発が起きているとしたら、なぜ起きているのか



2つ目の、「人口爆発が起きているとしたら、なぜ起きているのか」については、ほとんど答えは出ています。

それは物質的に豊かになっているということが原因です。
援助や海外との取引が増加したことや、道路などのインフラが整備されていったことで、流通するモノが増えたことが最も大きな原因だと考えています。

避妊の仕方をしらないとか、家族計画を立てる能力がないとか、仕事がなくて時間を持て余しているとか、内側に問題があるとして、教育などの援助が入り込んでいくわけですが、それは違うのです。
問題は外側からもたらされるのです。

人口の急増を問題としていない見方もあります。社会が発展していく過程で、人口急増は必然的に起こるもので、日本のように社会が成熟していくと、人口減少社会にシフトしていくという神話があります。発展モデルは、1つしかないと信じられているのです。

ひと1人の幸福度を高めることよりも、「市場規模」としてポジティブに捉える人達が世の中にはたくさんいるのです。
だから人口政策を真剣に考える人は少ないのです。

貧しさを表す指標と、経済の先行きへの関心という2つの軸を守ることで、投資と援助の両方に根拠を持たせることができるのです。
それゆえに、人口が増え続けることは、エチオピア政府とエチオピアを取り巻いて銭もうけをしているアクターにとって都合がいいのです。

つまり、エチオピアの人口増加は起こるべくして起こり、問題ではなく、歓迎すべき発展のためのプロセスと考える力が働くのだろうと言えます。

支援依存を問題として捉えるならば、人口増加は、避けて通れない根深い問題ということになります。また、土地や資源には限りがあるので、コミュニティや生態系を維持するという点においても、人口増加は破壊を生みます。文化の姿が変わってしまうことにも繋がっていくのです。



1つ目の「人口爆発は本当に起きているのか」について、実際に検証することは難しいと思っています。

CIAのfactbookとworld bankの人口統計で、数百万人規模でズレがあるように、完全に正確な人口を把握することが困難な土壌であることが1つの理由です。

しかしながら、エチオピアの農村人口は全人口の80%以上だと言われているのですが、そんなことが本当に起こるのかというのが、最大の疑問でした。

でもやっぱりおかしい。

昼間の体感的な人口密度では分からない。
拠点は村で、都市で生計を立てている人。














2016年10月12日水曜日

2016年エチオピアの旅 #6

前回は、ソロモン王朝の権威と、長い外交の歴史から、現在のエチオピアが国際的な地位を確立した可能性について考えました。
それゆえに、エチオピアはアフリカで唯一、植民地支配を逃れ、国際連合の原加盟国となり、多くの援助を受けているのではないだろうかと考えていきました。

http://travelfortellingpoverty.blogspot.jp/2016/09/2016-5.html




前回はラリベラの教会群(世界遺産)に行ったところまでを書きました。
教会の中で、もう1つ印象に残っていることがありました。
神父の前で、ひざまづいてお祈りを捧げる動きを、見よう見まねでやったのですが、たいへん不自然な流れで、神父が足元のさい銭箱を指して、言葉に出さないまでも、ここに金を入れろ的な合図を出されました。お金はヤレムに持たせていたので、納めることができなかったのですが、違和感がありすぎでした。

違和感と言えば、自分の信仰と全く関係ない教会にやってくる外国人の方が「それ」なのかもしれません。

僕が感じた方の違和感は、神父の本来の作法ではないだろう、という意味ですが、そのように変わってしまったのは、きっと外国人が観光のためにやってくるからであって、資本主義の文脈が、「本来の型」をねじ曲げてしまったからなのだろうと思います。文化や歴史の奥行を見渡す力がないと、どうしても表層だけを切り取って、貧しさと結びつけてしまいがちなのだろうと思うところです。

果たして、文化や歴史をねじ曲げてまで、『観光資源』などと言って盛り上がることは、地元住民に豊かさをもたらすのだろうか。
バスターミナルの前の宿屋でヤレムと話していると、6歳くらいの子どもがやってきて、「何か食べ物をくれ」と言う。残していたインジェラをあげると、目の前でたいらげた。よほどお腹がすいていたんだろうと感じさせるような食べ方でした。
ラリベラに観光客が溢れかえれば、いつかこの子が空腹に悩まなくていい日がやってくるのだろうか。もしその日がやってきたとして、文化や歴史は形を変えずに残っていられるだろうか。そんなことを考えた1日でした。


その夜はエチオピアのダンスや音楽を楽しみました。
ドラムの音や、女の人の「ララララララララーー♪」って歌声をサンプリングしてきたので、制作中の曲のどこかに挿したいと思います。



次の日、早朝のバスに乗り、ラリベラから旧都ゴンダールへ向かいました。
夜から腹を壊していました。それから、体に小さい虫刺されの痕がいくつかあったのですが、まだあまり気にしていませんでした。

移動中。空が広いし近い


ゴンダールでは城の周りを散歩して、カフェでのんびり過ごしました。
体調が悪かったので、その後は、ずっとホテルの窓から下の路上を観察していました。



城。写真下手ですんません。








1日しかいなかったので、あまり詳しくは書けませんが、
城下町という感じですが、新しいカフェやレストランが並んでいる通りもあって、アジスアババよりは落ち着いた雰囲気でした。カフェでのんびりするには最高でした。
中心部はそれなりに人が多い印象です。32万人(2015)が住んでいるようです。

今回の旅は、都市巡りも目的の1つでした。
なぜなら、エチオピアは人口爆発が起きているけれど、人口のほとんどは首都以外に住んでいるという説明をずっと疑っていたからです。

ゴンダールの後は、アムハラ州の州都バハルダに行きました。バハルダの話と、エチオピアの人口についてはまた次回書きたいと思います。




ところで、最近はエチオピアの抗議デモがメディアで頻繁に取り上げられるようになりました。
オロモ民族になぜか焦点が当てられているようですが、アムハラ民族が多く住むアムハラ州のゴンダールやバハルダでも大きな抗議でもが起きています。



ゴンダール




現政権を批判する抗議デモは国内各地に広がっています。

さらに、国内だけではなく、海外にも広がっています。

カナダでも、イギリスでも、ドイツでも、アメリカでも。






1990年代に、メンギスツ社会主義政権から形としては民主主義の国に変わったエチオピアですが、そのとき、反政府勢力側を支援していたのがアメリカです。
そして、EPRDFが政権を握ることになります。そして、少数派でありながら、ディグレ民族がエチオピアの政治の中心を担っていくようになります。

エチオピアへの援助が他の国よりも多すぎることに注目しているのですが、一番多く援助を行っているのも、アメリカです。社会主義時代の終焉が、エチオピアの開発や援助を語る上では重要なターニングポイントなのです。

しかしながら、昨今、国民の不安が高まっている背景は、人権問題というよりは、貧困だろうとみています。
富が平等に分配されない仕組みや、特定の民族に偏った政策が、貧困の原因なのでしょうか。
それは確かにあると思うのですが、エチオピア政府は、国民が貧困に陥るとどういうことが起きるか、おそらく他のどの国よりも知っていると思います。

メンギスツ政権の崩壊も、ハイレセラシェj時代の終焉も、背景には、貧困がありました。
(岡倉登志『エチオピアの歴史』より)


だから文化や歴史を切り売りしてでも、たくさんの援助を受け取って、経済成長を好ましいものと考える力が、政府の中では働いているのだろうと考えるところです。


今起きている抗議デモは、経済成長率の高さ(10%程度)が、国民の生活の実態へ反映されていないことを示しているのではないでしょうか。








続きはまた書きます。